Sunday, 5 December 2021

きのうきょう

 父が好きだった産経新聞の一般投稿の一つ。俳句の投稿もあって井原市の人がよく掲載されていた。何て名前の人だっけね、お父さん。

『父の好きな夏が今年もやって来る。横浜でプールから帰ると「あー暑いあつい」と玄関に入っては私が買った亀の足台に先ず座って帽子を脱ぎ、海水パンツやタオルを自分でちゃんと干してお昼を食べて昼寝をした。海パンを全部で何枚送ったかな。

最後の数年はホームに引きこもり、冷暖房完備のおかげで汗をかくこともなくなった。新聞には相変わらず赤線青線を引いたけど、チョキチョキ記事を切って緑色の板に挟むのは減ったみたいだった。おやこ新聞を毎週取っておいてくれたね

今頃、何の心配もなく軽くなった身体で下界を見下ろしてはあれこれ皆とおしゃべりしているだろうな。もうトイレで悩む事もない。痛みを訴える事もない。辛い思いをする事もない。歩けないと落ち込む事もない。

寂しいけどまた会う日まで。』

敏子さん

お元気ですか? 覚えていますか。1回目訪ねたのは去年6月?2月のお誕生日FB投稿で入院されてるのが分かり、コロナの規制がなくなって伺いました。ミニたぬきうどんやらおいなりさんやら持って行きました。2回目は10月、日本語のエッセイを貸しました。3回目は1月、歴史の教科書と赤紫蘇の苗。エッセイなんてすっかり忘れられてガッカリしてたら偶然本が見えて回収できました。そちらの近くのゴルフ場の写真も撮りたいし、教科書も欲しいし。電話してみましょうね。私を覚えていますか?


Monday, 30 November 2020

お父さんへ自然日記


 せっかく紫蘇の芽がたくさん出たのに昨晩誰かにムシャムシャ噛じられたよ。ナメクジの光る足跡付きで。アルミホイルのパイの入れ物に水を張って小鉢を中に避難させたからうまくいきますように。あなたに教わったお米のとぎ汁もカラカラに乾いたところに水を溢れさせるのも覚えているよ。天国でも土を広げて陽にあててますか。朝顔はこちらでは雑草だから買えない、残念。セミの脱殻も見かけたし鳥もよく見かけるし、あなたの真似した蝉や鳥の鳴き声は健在です。自然界の声よりお父さんの鳴き真似が聞きたいなぁ。





お腹グーグーと睡魔

 私はなぜか学生時代から勉強態勢だとお腹がグーグー鳴る。それに加えて睡魔にも襲われてどちらにもどうしても未だに勝てない。学生時代はどうやってお腹を鳴らせないかどうやって目を開けていられるか、勉強よりそっちが必死だった。教えていてもグーグー鳴れば子供は遠慮なく笑う。この歳になるとどうでもいいがなぜ私だけこんなに鳴るんだろう。食い意地が張ってどこでも寝て本当に恥ずかしい。

父とウイスキー

 父はお酒の中でウイスキーが大好きでした。昔、世話になる義兄に超高いジョニー・ウオーカーのブルーラベルを買って持参したら半分父が飲んでしまい腹立たしく思いましたが、当時それだけ好きだったんだ、飲みたかったんだと思ってあげる器量はありませんでした。後でわかったのは安いイイチコで父が我慢させられてイイ理由がない事。自分だけ高級ウイスキーを飲み父が飲もうとすると「あなたにはイイチコがあるでしょう」とはイジマシイ本性を見せつけられました。あなたの金の腕時計を勝手に売っぱらった人から子供はイジマシイと言われて育ちましたよ。ジョニー・ウオーカーのグリーンラベルがあるそうです。今度はあなただけのために買って持参しましょう。


Sunday, 15 November 2020

宗ちゃんと礦ちゃん

 父の親友は金澤廣太郎さん。もとい、礦太郎さん。お互い長生きしたけど片や横浜、片や奈良に住んでいて晩年はもちろん行き交う事も電話で話すことも手紙のやり取りもできなくなりました。いや、本当に出来なかったのだろうか? 私が恵さんの協力を得て少し工夫すれば二人なんとかできたかもしれません。脚は弱り耳がすごく遠くなり字を書く手も疲れ果てたけど、

電話をスピーカー機能にして音量を最大にして、子機も同じようにして同時に使えば聞こえたかもしれないね。そしたら喜んでくれたかなー。

金澤くんからの手紙は私が何通も持っていましたが、お父さんの旅立ちの際に写経と一緒に持たせました。最後は何年も会ってなかったけど同じ歳まで頑張ったんだからあちらで再会してもすぐ顔は分かったでしょう。

良い友達に巡り会えて幸いでしたね。良い父に巡り合えて幸いでした。

Friday, 5 June 2020

淋しがり屋のお父さんへ

今日は晴天の中、何十年ぶりでバスに乗ってミッションベイに行って来たよ。知恵ちゃんの還暦祝い考えて古い家と小学校の写真撮って来たよ。あなたはニュージーランドで暮らした数年が一番楽しかったと言っていた。私はあなたと二人で暮らした時ならいつでも楽しかった。お父さんはあんなに社交的で好かれるのにどうして私は反対なんだ。しょうがないね、あんたは。ちゃんと見守っていてください。1人で寝るのは嫌なんだと言ってたのに1人にしてごめんね。話し相手が欲しかったのにいなくてごめんね。私は暗いなか寝るのが嫌だし話し相手が欲しいし。二人とも小心者でどうしようもないね。

叔母とは

日本語には叔母と伯母があり、同様に叔父と伯父がある。英語だとアンティーもアンクルもシスターもブラザーも一緒くたなのに、やはり古くから縦社会なゆえ上下関係をはっきりさせるのは必須なのだろう。伯母と伯父は親より年上の兄弟姉妹、叔母と叔父は年下である。

私の場合、母方には叔母が二人いる。どちらも血はつながっていない。父方は伯母一人と叔母二人だが、血がつながっていようがいまいが疎遠なまま名前は知っている。博子おばさんに至っては若くして亡くなってしまったし、会った事がないどころか従兄弟二人の名前も定かでない。

5人のおばさんが大丈夫かとまるで声をかけてくれなかったのは、姪に興味がなかったのか、関わりたくなかったのか。考えると私より前にあの母親とやりとりをしないといけない訳だからバリヤーを破る気力がなかったか怖かったかな。私も今となっては分かるけど、でも昔は逃げるところがなくて悲しかったよ。行くとこがなくて住まわせてやってるのに生意気だと。

姪が子供の時に当時唯一の叔母だった私は海外で何も直接声をかけなかった。今は立派な大人だけど、逆に直接メールを出そうもんなら母親にすぐ報告される。また何を言うかと10倍返しは嫌だからもう黙りましょう。向こうも今更何も言わないのだから何も望まれていないんだよ。

誰か私に「大丈夫だから」と言ってよ。

父とガムテープ

父は大変もの持ちが良く、良いものを買って手入れをして長く長く使いました。アルゼンチンで買った良質の靴はまさに一生モノで、よく玄関でまず靴クリームを古い歯ブラシで丁寧に塗り、それから靴ブラシをシュッシュッと左右からつま先かかとまで勢いよくかけるのを見るのがとても好きでした。
長持ちしないものはガムテープでできるだけ長持ちさせました。連れ合いにはケチだの田舎者だの言われてもへっちゃらでした。破れた海水パンツまでガムテープで貼り合わせ、一緒にいた孫におじいちゃんお尻が見えてると言われたと大笑いしてました。プールのカバンの手提げの部分も、貼れるところは貼るのが当たり前でした。残念な事に私は使い捨て派。$2ショップやディスカウントショップで靴も買い履きつぶします。
明日引っ越す先は古い家の匂いがするほどオンボロな家です。取り壊し新築の許可待ちだそうですから修理は頼んでも無理でしょう。新しいガムテープを買って自分なりに直せるところは直して、父からお褒めにあずかりたいものです。空から見ててね。

Sunday, 10 May 2020

父のヘッドホン

今にして思えば父は早くから難聴でした。でも本人は認めるどころか叫ぶ私の声が小さいと言い返されました。ルックスが大事な「ええかっこしい」のダンディな三宅さんでしたから、補聴器を受け入れたのは随分あとになってからでした。 実家のリビングのテレビのボリュームがどんどん上がり、「うるさい!」と母親に疎まれ別の小さい部屋のテレビが父専用になりました。更にうるさいからヘッドホンで見るよう指示されましたが、途中私が新しいヘッドホンを電気屋で探してあげたら喜びホームに移ってからも使い続けていました。 デスクと本棚とソファとテレビの部屋。結果的に邪魔されずこの部屋で一緒に時代劇をたくさん見る事ができました。御宿かわせみ、鬼平犯科帳、剣客商売は特に好きでしたがヘッドホンのプラグを外すと雷雲に負けない音量でしたから、ヘッドホンから漏れる音声と画像で私は楽しみました。 あの部屋はあっと言う間に、もしかしたら父がまだいる頃から、整理整頓され父の書き物、ファイル等は処分されました。残念だけど口を挟めないのでしょうがありません。そうして私も黙る事を覚えました。それでも物は失くなっても記憶は失くなりません。2年弱あの部屋で一緒に時間を過ごせて本当に良かったです。 父の難聴がヘッドホンのせいで益々悪化したかはわかりません。私も聞こえが良い方ではありませんが、余計な雑音や悪口が聞こえなくて良い反面、好きなおしゃべりもままならず電話も敬遠して引きこもったようでかわいそうでした。
コロナの影響で自分の部屋にこもる中、頭上の世帯主のリビングから重低音が響く度に、イヤホンでラジオを聞いていてふと父のヘッドホンを思い出しました。
今は鳥の声も遠くの人の呼ぶ声も何不自由なく聞こえて喜んでいるでしょう。それが一番です。

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